「モアイに会いに行くために」澤田かをり

 

初めまして、ピースボートスタッフの澤田かをりです。

私がピースボートに乗ろうと思ったきっかけは、寄港地に「イースター島」があったから。それだけでした。

イースター島への想い

12歳の時、本屋さんで見つけた「巨大遺跡の謎」。

ピラミッドやストーンヘンジなど、数々の遺跡が紹介されていて、その中にいたモアイ像と目が合い、小学生にして「この人に会いに行く!」と決めたのでした。

それから10年間、お年玉やバイト代を少しづつ貯め、社会人になってからはこっそりと深夜のカラオケのバイトをして目標の70万円を貯めました。

ついに対面

初めて目が合ってから10年。ついにその島に上陸するときが来ました。

初めての海外旅行に一人でイースター島へ。父親は大賛成、母親はとても心配しましたが、行くと決めていたので最終的には応援してくれました。

なにせ、初めての海外旅行なので万が一帰ってこられなかった時のために遺書のようなものも残していきました(笑)

無事に島に到着したときは、本当にここがイースター島なのか疑いましたが、空港のお土産屋さんに並ぶたくさんのモアイを見て、安心しました。

イースター島で17日間過ごしました。海を見たり、子どもたちと遊んだり、日本人が来たら観光案内したり、あっという間に過ぎました。

また絶対に来ると心に誓いました。

ピースボートとの初めての出会い

勤めていた写真室の裏口近くに貼ってあったポスター。今のようなきれいなポスターとはほど遠い、小さなサイズで下のほうに電話番号がタコ足でついていて切り取れるようなものでした。

「あやしい・・・・」というのが正直な感想。でもちょっと気になって電話番号の部分を切り取り財布の中へ。しかし、電話をかけることはありませんでした。

 

再びピースボートとの出会い

  

その1年後、勤めていた写真室を退職し一旦地元の石川県輪島市へ戻りました。

運よく市役所の臨時職員に採用され働き始めるも、なんのやりがいもない日々に疲れてしまいこの先どうしようかと悩んでいたとき、なんと市役所の掲示板にひときわ目を引くポスターが貼ってありました。「ピースボート地球一周の船旅」?あれ、これは前回みたあのあやしいポスターと同じもの?

とにもかくにも、これだ!と思い、すぐに資料請求。パンフレットが届くやいなや電話がかかってきました。私はまたイースター島に行きたかったけれど、届いたパンフレットには該当するものがありませんでした。電話口の若い男性に実はイースター島に行ったことがあることを伝えると、もうびっくり仰天していました。その理由は2つあって、ひとつは一人でイースター島に行ったことがある人に初めて出会ったこと、もうひとつは今日発表になったクルーズにイースター島が入っていること。

本当に今日発表になったかどうかは置いといても、イースター島にいくクルーズがあると知り、もうこれは運命以外のなにものでもないとすぐに参加することを決めました。

ボランティアスタッフ活動

ボランティアスタッフしてみませんか?と誘われたけれど近くにピースボートセンターもないし、近くに乗船経験者もいない。それならば一番近い大阪に行って、実際に話を聞いてみようと思い参加しました。

小さなマンションの1室に金髪のおにいちゃん、アフロヘアの男の子、剃りが入った年上の男性、人の良さそうな女性。「大丈夫かな、この団体・・・」と一瞬頭をよぎりましたが、どの方も親切でした。

考えた結果、ピースボートセンターで割引も貯めたいけど一緒にのる人たちと交流もしたかったので、思い切って石川を出て大阪のスタッフの家にしばらくお世話になることにしました。

ボランティアスタッフをしていた期間は本当に濃く、

支援物資を集めたり、聾唖の方がいたので手話をみんなで勉強したり、

楽しかったことしか思い出せません。

北朝鮮で受けた衝撃

初めて乗った船は第34回クルーズというショートクルーズでした。

もともとは第35回地球一周に申し込んでいましたが、連続で乗るとお得と聞き、さらに寄港地が

北朝鮮と韓国。

「北朝鮮ってよくテレビで見るけど行けるなら行ってみた~い」という軽いミーハーな気持ちで申し込みました。

結果的にはこのクルーズに乗ったことで、私はピースボートの素晴らしさを知り、スタッフになるきっかけをもらったことになります。

北朝鮮は、普通に市民が暮らしていました。

そんな大切で当たり前のことを、日本のメディアに洗脳されていた私はすっかり忘れていたのです。

 

9.11を海の上で知る

続けて乗った地球一周のクルーズは出発して3日目にニューヨークでの9.11同時テロがありました。何度も流れる映画のワンシーンのような映像に、ただただ茫然としました。

船にはアメリカ国籍のスタッフや英語の先生も乗っていたので、混乱しました。

空母にも遭遇し、ここから戦闘機が向かうのかと思うとぞっとしました。

帰国してからの自分の中の変化

3カ月の度から帰国し、じわじわと自分の中の変化に気がつきます。まず、新聞の国際欄に目を通すようになっていたこと。そこに自分が行った国の記事があると読むようになったし、ニュースで聞き覚えのある地名が出ると手が止まる。

ほんの些細な事かもしれないけれど、私の中では大きな変化でした。

スタッフになる

下船して間もなくスタッフをやらないかとお誘いを受けました。一度は断りましたが、

私が乗船を決める時に大きく背中を押してくれたのも、乗船までの期間さまざまなハードルの相談に乗ってくれたのもスタッフのみなさんでした。

本当に有意義な旅だったので、一人でも多くの人に乗ってもらいたいし、その背中を押すということ、いまの私ならできるかもしれないとスタッフになりました。

そしていま

ずいぶん飛んじゃいますが、スタッフになってはや18年目。地球は14週、ショートクルーズと

東京、埼玉、大阪のピースボートセンターや船勤務を経て、現在はここ福岡で活動しています。

3人のこどもたちが大きくなったら、是非ひとりで参加してほしいと自信をもって言えるクルーズだと思っています。