「サッカー + 笑い = 僕の地球一周」讃井悠介

こんにちは!

ご無沙汰していましたが、先日の世界遺産の投稿から再度ブログを復活することになりました!!(こんどこそっ)ピースボートセンターふくおかはボランティアスタッフの方はもちろんのこと、スタッフもかわっていきます。いま、ピースボートセンターふくおかにはどんなスタッフがいるのか、改めてブログを通してご紹介していきたいと思っています^^

まずは、、、ピースボートセンターふくおかに欠かせないこの方!

讃井悠介Sanui Yusuke (通称:さんこん)

福岡県福岡市出身。

「サッカーボールが好きすぎて」

小学生の時からサッカーをやっていました。サッカーボールが好きで、蹴っていたら小学生の6年間が終わっていたという感じです。

中学生、高校生になって部活には入っていませんでしたが、小学校の時のクラブチームに顔を出してボールを蹴り続けていたら、そこのコーチをやらせていただくことになったので、またずっとボールを蹴ることができました。

そしたら大人になっていました。

特に学校に行きたいと思う事はなかったので、中学校を卒業して働こうとしていたのですが、周りの反対もあり高校に行くことになりました。

「笑いの絶えない生活を」

高校卒業後、大学に行くことは全く考えていなかった僕がとった進路は、お笑いの道です。

福岡にお笑いの事務所があり、そこに入ることができました。

特に人前がすごく好きとか、学生時代クラスで1番面白い人とかでもなかった僕ですが、どうしてもこの世界に行きたかったんです。

実は、学校に行きたいと思わなかった理由の中に人間関係で悩んでいた部分がありました。詳しい理由はここでは省きますが、学生時代嫌な想いをして人との交流をあまり持たなかったという事実があります。

その時に心の支えになったのが「笑い」です。

笑っている時は嫌なことを全て忘れていたので、毎日笑っていることができたら幸せだなと感じていました。その時に福岡にお笑いの事務所があることを知り、そこを目指すようになりました。

お笑いの天下を取りたいとか、そういう野望はなく、お笑い事務所にいけば周りに面白い人が多いだろうから毎日笑っていられるという理由でした。

お笑いの事務所に入ってからの生活は今までに味わうこともなかった勉強の日々でした。学生時代部活をやっていなかったので、上下関係を学んだのもここでした。

有名な芸人さんともたくさんお仕事させてもらって刺激を受ける日々でした。

「たった1枚のポスターで、急展開な人生に」

4年ほどお笑いの世界を過ごし離れることに決めて、次に何をしようかなと街中に出たときに1枚のポスターに出会いました。船が大きく写っているポスター。左下に小さな透明のポッケがついていましたが、中身が空っぽでした。その時は何とも思わずに帰りました。

それから1週間後また街中で先日見たポスターに出会いました。「またあれか」と思いましたが、その時見たポスターの左下のポッケには1枚のハガキが入っていて、思わずそれを手に取りました。それから資料が届き、ボランティアスタッフ説明会に参加したまでが2週間でした。

「いつ来てもいい場所」

説明会に来て、そこから僕は毎日のようにピースボートセンターに通いました。説明会で「ボランティアスタッフにはシフトがないので、センターにはいつ来てもいいです。」と言われたので、行くことで知れることが増えそうと思っていました。

そこからそれまでの芸人のしっかりとした上下関係からは想像もつかないような、年齢やそれぞれの背景も全て取っ払ったような、今まで味わったことのない世界が広がっていました。

「サッカーを通じて出会った人々」

ボランティアスタッフの活動に「ピースボールプロジェクト」という活動があります。これは、支援物資として世界にサッカーボールやサッカー用品を届けるという活動です。

長年サッカーをやっていた僕にとって自分の為にあるプロジェクトだと感じ、そこから活動を始めました。と言っても、ポスター貼りをし続けないと乗船が難しい状況だった為、ポスターを貼らせていただいたお店の方に使っていない「サッカーボールはありませんか?」ととりあえず言い続けていくしかありませんでした。それを毎日繰り返していったら、1件のお店の方がサッカー強豪校の先生知ってるから紹介してあげるとなりました。

その学校から多くのサッカーボールをいただき、他校も紹介してもらいとどんどん繋がっていき、最終的に、Jリーグチームにも協力していただき、150個のボールを集めることができました。

「サッカーボールひとつで交流できる」

サッカーボールを沢山船に積み、世界を回りました。ヨルダンの難民キャンプの子どもたち、スペインの学生、カナダやメキシコの青年団体、マダガスカルやモザンビークの孤児院の子どもたち、アルゼンチンの日本好きの学生さん..

日本で捨てられていたはずのサッカーボールで世界の人々と繋がることができました。

たくさんの笑顔に出会いました。

「お金がなくても、自分次第で世界を見るか、世界を諦めるか」

僕はピースボートに乗りたいと思った時、全財産が6800円しかありませんでした。

でもそこからボランティアスタッフ制度を利用し、自分なりに力をいれて活動して、乗船することができました。その後もピースボートに携わって、地球を6周しました。

このピースボートはお金の面で諦めざるを得ない夢を実現できる可能性があると思います。

「そこに行き、見て、匂い、肌で感じること」

僕はまだまだ世界を知りたいです。常に変わっていく世界は何度行っても刺激を受けます。まずは、とりあえずチャレンジして実際にその場所に行くことは、大切なことだと学びました。

是非ピースボートセンターに来てみてください!