芭蕉の自己満part⑩ 『PBVって知ってる?』

みなさん、こんにちは!お久しぶりです。ピースボートの廣田純也(芭蕉)です。(自己紹介記事はこちら!!)

最近、徐々に寒くなってきましたね!気づけば今年も11月。本当に1年、あっという間だな~と感じてる今日この頃。皆さんはどうお過ごしですか?

さて今回はピースボートのプロジェクト活動の一つ。
”PBV災害ボランティアセンター”についてお話ししようと思います。

「またなんで芭蕉が説明すんだよ!」と思う方もいるかもですが、実は僕はこのプロジェクト活動に凄く思い入れがあるんです。なので僕からお話しさせてもらいます。

 

PBV災害ボランティアセンターとは?

ピースボートでは1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに災害支援が始まりました。当初はNGOピースボートの活動の一環でしたが、2011年4月に”一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンター”として独立。

「人こそが人を支援できるということ」

この言葉をモットーに現在では国内外問わず、被災地での災害支援活動や防災・減災の取り組みを積極的に行っています。

細かい詳細は是非、HPを見てみてください。活動報告書などもあるので現地でどんな活動をしているかもわかります。

PBV災害支援センターHP (https://pbv.or.jp/)

 

とまぁ簡単にご紹介しましたが、なぜ僕がその災害支援に興味を持ったのかと言うと、キッカケは3.11東日本大震災でした。

今から約10年前、当時16歳。僕の住んでいる岐阜県大垣市は震災の被害が非常に少ない場所でしたがTVで流れる震災の映像に衝撃を受け、すごく胸が痛くて見ているだけではもどかしかったことを覚えています。

震災の直後、僕は高校を通信制高校へと転学したこともあり、週6でアルバイトをする毎日。同世代では割と収入に余裕があったので、その時はコンビニで会計するたびにお釣りの10円玉以下は極力、募金箱に入れてました。

その当時は貯金とかもしていなかったんですが、募金する生活を約1年半ぐらいは続けていました。それぐらい僕の中で他人事じゃなく感じたんです。

 

さて、話をもどしてそのPBV災害ボランティアセンターでは具体的にどんなことを行っているのか!?

①災害支援活動
②防災・減災の取り組み
と言う部分に焦点を当てて、実際に僕が参加した際の写真など使ってご紹介します。

①災害支援活動

実際、被災地に出向き支援をします。
災害の規模や種類により活動内容は異なりますが、まずは被災地へ先遣スタッフを派遣しボランティアセンターを作ります。

現地ニーズ・状況・条件などを調査した上で適切な支援を行います。

例えば現地で足りないものを支援物資として募ったり、避難所のサポートなどをしています。

 

僕は実際に2年前の西日本豪雨で被害にあった、岡山県倉敷市真備町で現地へ行き災害支援を手伝ってきました。

真備町は豪雨の影響で、堤防が決壊し広範囲で家屋が水に浸かってしまっていました。
新幹線の通る高架を見ると、何メートルも上に泥水に浸った跡が残っていて辺り一帯が、災害当時は水の中だと考えるとゾッとしました。

その地域の家屋には濁流の影響で家の中まで、がれきや土砂が入り込んでしまった家の清掃や、木造や土壁の家の解体などのお手伝いをしてきました。

いろんな物を巻き込んでいる濁流なので、想像以上に家の中に入り込んできています。土壁も水分吸ってボロボロになるので、崩したりします。

またその家の方に災害当時のお話しを聞くこともできましたし僕たちが来てくれるだけで元気が出るとお言葉ももらいました。

「真備町の景色を取り戻す!」と言ってくれたお婆ちゃんの言葉が忘れられません。

 

②防災・減災の取り組み

PBVでは取り組みとして、防災教育にも力を入れています。ワークショップや講演、イベント、冊子を通して災害対応を重要性を伝えています。

その中でも僕が体験したのは被災地に訪れるプログラムです。

僕は2019年夏の”日本一周クルーズ”にスタッフとして添乗していました。その最後の寄港地が実際に3.11の被害を受けた石巻だったんです。

ピースボートでは寄港地についた際にOPツアーがいくつか発表され、僕たち添乗スタッフはツアーのサポートを行ったりするのですが、石巻のOPツアーの中に「石巻Eコース 語り部と巡る震災遺構」というツアーがありました。

僕は当時、3.11で衝撃を受けたことからツアーのサポートスタッフに希望をし実際に震災遺構ツアーのサポートをさせていただきました。

そのツアーでは現地の語り部さんと共に、被害のあった二つの小学校を訪れて3.11の災害当時のお話しや震災を経て、復興やこれからの取り組みについてを学ぶ内容でした。

震災当時、テレビのニュースにも流れていた小学校の敷地に足を踏み入れてその景色を見たときに、改めて大きな災害だったことを感じました。

住宅街だった場所が空き地になっている小学校近辺、窓ガラスが全てなくなっている校舎、斜めに倒れた状態の渡り廊下…

その日はとても天気が良かったのですが、語り部の方の話を聞きながら震災当時をイメージすると、景色がなにか語り掛けてくるかのような感覚でした。

「災害は避難訓練やマニュアルを超えてくることを常に覚えていて欲しい。」
語り部さんが言ったこの言葉がとても印象に残っています。

二つの小学校を巡った後は、東日本大震災メモリアルという資料館を訪れました。石巻の復興のシンボルともなっている「がんばろう!石巻」の大看板も見ることができました。

今の大看板は2代目の看板らしいです。初代は実際に津波で流されてきた大きなベニヤ板に復興の思いを込めて「がんばろう!石巻」と書いて立てたそうです。

3.11の遺構を見て、語り部の話を聞いてすごく充実したツアーでした。本当に見ることができて良かったです。

最後に

いかがでしたか?
僕は見る事、知る事でも防災・減災へとつながると思っています。

この記事を読んだそこのあなた。イメージしてみてください。

もし自分の住んでいる町が災害にあったら….
もし家族といない時に災害にあったら….
もし遠い町の友人が災害にあったら….

考えるだけでも嫌ですよね。でもイメージすることで対策も考える事もできるはず!小さなことでもいいんです。防災バッグ準備するとか、住んでる町の避難場所確認するとか、備えあれば患いなしです!

またPBVでは今年の夏、豪雨の被害にあった熊本県球磨村に今も現地にて支援を続けています。
新型コロナの状況下においても支援の手が止まらないよう、「2020緊急支援チーム」を結成して、支援を続けています。

僕も何度か、ピースボートセンターで災害支援の企画をやったり、
今はコロナの影響でお休みしていますが街頭募金も行っていました。

みなさんもボランティアスタッフをしているうちに、災害支援に触れる機会があれば是非、知るところからでいいんです。災害支援にご協力お願いします。

 

長々、駄文失礼しました!
ではまた!

 

ピースボートセンターふくおか 廣田純也(芭蕉)