イオラナ~!:イースター島の言葉でこんにちは
金曜日ブログ担当の澤田かをりです。(自己紹介記事はこちらから)
先週、寒の戻りで冬服の出番が数日続きましたが、いまは汗ばむくらいの日々ですね。
みなさん元気に過ごしていますか?
私はやっと重い腰をあげ、家の掃除を始めました…(遅い 笑)
さて、今回で3回目となる地球のおへそですが、
今日はイースター島と日本の関係や個性的なモアイについてお話したいと思います。
島には約1000体のモアイがいるとされていますが、
ラノララクの作りかけや運び途中のものを除いて、きちんと立っているモアイは約40体です。残りのほとんどがラノララク山でどんどん風化し、土に還ろうとしています。
海側にはモアイだと言われないとわからないほど、たくさんのモアイが倒れています。
フリモアイ(モアイ倒し戦争)で倒されたものもあれば、1960年のチリ沖大震災の時に起こった津波で倒れたものもあります。(イースター島の歴史に関しての記事はこちら)
長い間倒されたままのモアイを1988年日に本のある番組が取り上げました。
それは「世界ふしぎ発見!」です。
番組内で「もしクレーンがあれば立派に修復できるのだが・・・」
島の知事のセルジオ・ラプ氏が言ったその言葉に対して
解答者の黒柳徹子さんも「私たち日本の企業もできることがあれば助けてあげられたらいいのに」というようなことを言ったんです。
そのテレビを見ていた香川県のクレーン会社「タダノ」の社員さんが、うちの会社が助けてあげられないだろうか?と、社長にかけあったところ協力することに。
チリ政府と共同でモアイ修復プロジェクトが立ち上がったのです。
実際にクレーンが島に運ばれモアイ修復が開始されたのは1992年です。
1995年5月までこの修復プロジェクトは続きます。これによって修復されたのがポリネシア圏で最大の遺跡のアフトンガリキです。
15体のモアイが大きなアフ(祭壇)の上に立っています。両翼は約100メートルもあります。
トンガリキとは王の港という意味を持っています。
アフトンガリキのすぐそばにある丘に1体のモアイが立っています。
このモアイはなんと1982年の大阪万博で来日経験あり、なんです!
モアイのほとんどが海岸線に作られ、海に背を向けています。島と人々を守ってくれていたんでしょうね。
しかしアフアキビのモアイ7体だけが草原の中に立ち、海を向いているのです。この7体は、初めてこの島にやってきてホツマツア王の息子たちを祀ったものだとか。
絶海の孤島と言われているこの島を守るために海を見つめているように私は見えます。
ラノララク山(モアイ切り出し山)にいるモアイの紹介も少しさせてください。
正座するモアイ・トゥリトゥリちゃんです。
これは初期のモアイなので顔とか体つきが丸いです。
ラノララク山にちょこんと座っていてかわいいです。
続いてモアイ・ピロピロくん!
作りかけの状態でモアイ作りが終わってしまいましたが、完成していたら島で一番大きいモアイです。
モアイにはすべて名前がついているそうですが、さすがの私も全部は覚えきれていません・・・。
ちなみに私が一番好きなモアイはフリアウレンガと言って、手が4つもあって、森の茂みにひっそり立っています。
私が初めて島を訪れた時1998年に一番最初に会った運命のモアイです。
そして最後に!モアイには眼があったということはご存じでしょうか?
日本のダルマに例えるならば最後に眼を書き入れて願をかけるように、
モアイも最後の最後に眼をいれることで、精霊(マナ)が宿ると言われています。
フリモアイ(モアイ倒し戦争)の時に、真っ先に砕かれたのが眼だったため、今現在発見されている眼はひとつだけなんです。
この眼は貴重なので世界中の博物館を渡り歩いており、島の博物館に展示されるのは少ないと言われています。
私が初めて島を訪れた時、やはり眼は海外出張中だったんです。
が!!!帰国前日に帰ってきたんです。
もう運命以外のなにものでもないですよね。
想像を絶する美しさです。
白目は白石珊瑚、瞳は赤色凝灰石で出来ています。幅は35センチです。
確かに、これがモアイに入るとすごいパワーを宿りそうですよね。
ちなみに、島の中には眼が描かれたモアイ(アフ・コテリク)がありますが、本当のモアイは描いてはいません。
あくまで復元なので、お間違いなく~
では、また来週~!
※写真のほとんどが私が撮影したものですが、数枚「イースター島観光協会」のものをお借りしています