
みなさん、こんにちは!
ピースボートセンターふくおかの讃井悠介(さんこん)です。最近は毎晩受験生のように世界遺産の勉強をしています。
本日も世界遺産を紹介したいと思います!
自然の織り成す美しい港町
アフリカ大陸、最南端の南アフリカ共和国。
港町ケープタウンは、南アフリカでは最大の港町です。
船が停泊する港のすぐ近くには、再開発で出来たウォーターフロントがあり、ショッピングや食事を楽しむことができます。
ケープタウンの街の背後にはテーブルマウンテンという頂上をナイフで横に切ったような岩山が聳えます。
運が良ければ、このテーブルマウンテンに雲がかかる現象、テーブルクロスを味わうことができます。
ちなみに、標高1000m近くありテーブルマウンテンから見下ろす、ケープタウンの街並みもお勧めです!(曇ったり強風の日が多いそうなのでご注意を)
虹の国、南アフリカ
「虹の国」という言葉は、1994年にネルソン・マンデラ氏が大統領が就任した時に発して有名になりました。マンデラ氏、その前は約27年間政治犯として獄中にいました。後ほど紹介するロベン島では約18年間過ごしました。
マンデラ氏は何故、刑務所に入っていたのでしょうか?
それは黒人だったからです。
かつて南アフリカでは、アパルトヘイトという白人の利益保護を目的とした人種隔離政策が1948年に法定化されました。
その歴史を物語る監獄の島が、世界遺産に登録されています。
脱出不可能な差別の島
ケープタウンから約11km沖合に浮かぶロベン島。ウォーターフロントからフェリーで渡ることができます。
ロベン島の周辺の海流は激しく、また当時は多くのサメがいたため、人力で渡ることが困難な島は刑務所に適していました。17世紀頃からオランダやイギリスによって主に犯罪者を隔離するための施設が作られ始めました。
アパルトヘイト制定後からは、反対する政治犯を収容する刑務所の島になりました。
悪いことはしていませんが、肌の色の違いから政治犯になってしまった人々、精神的に問題があると見なされた人々。
1991年に最後の政治犯が釈放するまでに、約3000人を超える主に黒人の政治犯が収容されました。刑務所は1996年に閉鎖されると、過酷な歴史を伝える博物館になりました。
後の大統領はここから誕生
ここはマンデラ氏が収監されていた2畳ほどの部屋です。
中は、薄いブランケットとバケツだけが置かれただけ。
暖房設備などないため、寒い冬はブランケット1枚で過ごしたそうです。
バケツはトイレとして使わなければいけなかったものです。
なお、ロベン島は自由行動では行けません。
見学の際は必ずツアーに参加してください。ウォーターフロントからツアーで行くことができます。
すっごい混んでいるのでご注意ください!実際僕が行った時も、行けなかった人で溢れていました。
ピースボートのツアーでは、元政治犯として収監されていた方が島内をガイドをして下さいました。
ご本人がその時のことを鮮明に話してくださいます。
実際に拷問が行われた場所、プライバシーのないトイレ、シャワー、洗面所。
多くの人々を苦しませた人種差別案アパルトヘイトは、1991年に撤廃されました。
近いようで、遠い。遠いようで、近い。
ロベン島に向かうフェリーから見るケープタウンの街です。
ロベン島に居た政治犯の人々は、この景色をどう感じていたのでしょうか。
心の距離で、なくすことができる偏見はたくさんあります。
ピースボートセンターふくおか 讃井悠介(さんこん)