「0を1にする旅」河合由実

みなさんこんにちは♪

福岡ピースボートセンター(福ピー)には5人のスタッフが勤務しています。ということで、スタッフ紹介記事最終章!やっと私の番が来ました、改めまして河合由実です^^(他のスタッフは以前の記事で紹介しているのでぜひみてくださいね♪)

河合 由実 Yumi KAWAI(通称:ナイキ)

愛知県名古屋市出身。

空を見たり、目的を決めず気の向いたほうに向かいながら楽しむ旅行(散歩)が好きです。新しい発見や魅力が見つかるのでぜひ☺

ピースボートセンター福岡では、TELかけボランティア(コールセンターのような以前ピースボートに問い合わせてくださった方へ連絡をし、地球一周のきっかけ作りをするか活動です)の担当をしています。

幼少期~学生時代

好奇心旺盛な幼少時代

実家は本屋。両親は共働きで、昔から本の匂いに囲まれて成長してきました。

この頃から動物が大好きで、親の仕事の関係で人とよく合うのであまり人見知りはありませんでした。

近所の仲いい男の子とスケートボードにうつ伏せて坂道を下ったり、アスレチックで遊んだりしていた記憶があり、好奇心旺盛な子供でした。

宇宙にあこがれテニスに向かった学生時代

中学校から高校に進学するとき、進路に迷った人多いと思います。

私は中学生のころ、宇宙の底知れない面白さと、考えるほどにわくわくするところにひかれていました。母と関東まで行き、宇宙関係のイベントに参加したこともありました。

高校では、「宇宙飛行士になりたい」と入学試験の面接のときに話した覚えがあります。

中学生の頃から友人に誘われてテニススクールに通っていましたが、ずっとやってみたかったマネージャーと迷った結果、面接官がテニス部の顧問だったことと体験入部の際に先輩がいい人でテニス部に入学しました。

部内でのいじめがきっかけで朝起きれなくなり、学校へも毎日遅刻していました。クラスメイトや友人たちには言ってなかったので、毎日気ままに学校に来るのんきなタイプだと思われていたみたいです。

そんなこともありましたが、テニス部を辞めて、父の趣味の影響で小さいころからカメラを触るのが好きだったので写真部に入部しました。

これは学生時代に撮影した写真です。いろんなことがありましたが、楽しい思い出もたくさんあり、今では楽しかったことしか思い出せないぐらい最高の高校生活を過ごしました。

テニス漬けの毎日

そしてまたまた進路に悩む時期…

部活はやめたものの、テニススクールでテニスは続けていました。通っていたテニススクールのコーチに進路の相談したら「テニスコーチやればいいじゃん」その一言で宇宙関係の職を目指すか迷っていた私は衝撃が走ったのを覚えています。

コーチって上手な人しかできないというイメージだったので、考えたこともありませんでした。ですが、テニスが大好きで人にうまく伝わった時やありがとうと言われることが私の喜びでもあったので、スポーツの専門学校に入学し、テニスコーチを目指すことに。

それからはテニス漬けの毎日でした。

テニスの実技の授業の後は、テニススクールでのバイトや実習、夜の最終レッスンが終わったら自分の練習。1週間でテニスをしない日がなかったです(笑)

そんな生活をしていたからか、1年生の夏に肘を痛めました。

元からテニスが上手だったわけではない私は、目の前でみんながどんどん成長していく姿を見るのがつらかったこともありました。でも、授業には参加しないといけないしリハビリも頑張らなきゃいけない。そんな葛藤と毎日戦っていました。

ピースボートとの出会いはトイレのポスター

みなさんも一度は目にしたことがあるであろう、ポスター。

肘の怪我がきっかけで、将来テニスコーチをやっていけるのか…。と考えるようになったある日。高校からの友人(テニス部のいじめてた側(笑)今ではかけがえのない存在です)と行ったしゃぶしゃぶ屋さん。

トイレに入った時、前々から気になってはいたものの他人事だと思っていた地球一周のポスターを目にしました。普段なら「いいな~」で終わっていたのですが、なぜかその日ははがきを手にし「これ書いて出すわ!」と友人に言い、その日の帰り道にポストに投函しました。

数日後に資料が届き、説明会が開催されていることを知りました。テニス漬けで説明会にも参加する時間もなかった日々が、怪我で時間がある…。時間があることなんてなかなかない…。しかも会場が学校から近い…!と、トントン拍子で説明会へ。

当時、説明会をしているその裏で、楽しそうに数人で餃子作ってたんです。(笑)「なんだここは!」と思ったことを今でも覚えています。その日にボランティアスタッフの登録をし、毎週行っている定例ミーティング(交流会)に参加しました。

のめりこんだボラスタ生活

初めてピースボートセンターに行った日から頻繁に顔を出すようになりました。

センターはびっくりするくらいアットホームで、混ざれないと感じたほどにみんな仲が良かったんです。

実はそんなことなく、すぐに打ち解けました。

はじめは「テニスがない環境が欲しかった」のが目的で関わっていたので、地球一周をするつもりはありませんでした。そりゃいけたらいいよな~程度に。

ですが、ボランティアスタッフ活動を通してどんどんピースボートの魅力にはまっていきました。

ポスター貼りをしたり

イベントに参加したり

ながーーい手巻き寿司作ったり。(私が通っていたのは名古屋にあるピースボートセンターだったので、758cmの手巻き寿司を)

そんな充実したボランティアスタッフ時代を過ごし、居場所を求めていた私は見事にのめりこみました。

バックグラウンドも目的も思いも違う人たちが集まるのに、目指すものは同じ「地球一周」。けど、ボランティアスタッフは楽しいだけじゃないんです。一緒に地球一周を目指していた仲間が諦めていく姿を見たり、自分なんでこんなに頑張ってるんだろう?って思ったり。そんな時にピースボートセンターのメンバーが救い出してくれるんです。一緒に地球一周目指そう!ってお尻たたいてくれるんです。

ただ船代を安くするための場所じゃない。人との出会いや思いやりがあふれてる場所です。

出逢いにあふれた世界一周

一緒に船に乗った人たち、降りた港。

いろんな場面でたくさんの人との出逢いがあります。

出逢いだけでなく、発見や学びもたくさんあります。

0を1に変えられる場所

はじめのきっかけは「いろんな国に行くのに一番楽だから!」「なんとなく」「世界一周したって言いたいから!」と人それぞれあると思いますが、世界に行き現地の方との交流や街中での発見などを通して社会問題や環境問題に目が行くようになる。

例えば、普段歩きなれている道のある施設に「難民」「地雷問題」「環境破壊」という文字を見たとき、立ち止まる人は何人いるでしょうか?目を運ぶことはあっても足を止め施設に入る人は少ないのではないかと思います。

ですが、船という限られた空間だからこそ普段だったら参加しないだろう企画や講演にも参加してみようかな??という気持ちが出てくることがあるんです。そんな時に偶然聞いた話が心に残ったり、自分ができることから気をつけてみようかな?って思ったり・・・

そんなちょっとしたきっかけ(0だった知識を知ることで1にするチャンス)がたくさんある場所だと思っています。

いろんな旅行の手段がある中、ピースボートに出会ったのは何かの縁。ぜひ、そういった学びの場にも参加してみてほしいものですね♪

オンラインの勉強会も開催しているので、これを機に少し聞いてみようと思った方はこちら

 

「出来ないわけじゃない時が最大のチャンス、出来る時に出来る事を全力で。」

私はこの言葉を大切にしています。

自分たちではどうしようもない状況になることもあります、その中どうにかできる状況なら挑戦してみる価値はあると思います。信じて待っててくれる人たちがいるからこそ私たちは変わらず皆さんの背中を押し続けます。

ここにたどり着いたのも何かの縁。一緒に地球一周に挑戦してみませんか?